引退レースを飾って恩返し

さて、ここで終わってはサラブレッドの語りは歓喜だけに終わってしまいます。そのあと、ミノルっは菊花賞にも挑戦しましたが、ダービーで力を使い果たしたと思いました。その後1勝したものの、重賞2レース連続で1番人気で勝てず、保田隆芳騎手最後のオー…

厩務員さんが馬場に飛び出し、トライアルではダービー馬が放馬

1969年のダービーはダイシンボルガードが劇的な勝利をおさめました。私1点勝負で連複を取りました。ところで、このダービー、当時名人騎手保田隆芳がミノルでダービー制覇するため引退を伸ばしたダービーでもありました。 当時のダービートライアルはNH…

1968年ダービー馬に騙されました

1968年の3歳馬は3強の争いでした。関西から東上したマーチス、関東の雄アサカオーと公営から連勝街道のタケシバオーの3頭がダービー制覇と思われていました。そのころの関西馬は皐月賞、ダービーを目指し、東上します。東上は新馬戦から勝ち星をあげ…

重賞馬の仕上げとオープン大将

現在、2カ月、3カ月の休養明けから走る馬を見ると、天栄などのトレーニング設備の充実で重賞、クラッシック馬はファンの期待に応える調教師の先生仕上げに感心してしまいます。当時、クラッシク出走を目指す有力馬はレース前に思い重量を背負い調教代わりか…

ちょうど競馬をはじめた頃は競走馬にとっても、さまざまな動きがありました。 サラ系アラブ馬、外国産馬、抽選馬と国内の競馬は国際化の道へと加速していきました。 ①、1958年連戦連勝のセイユウはサラ系アラブとして天皇賞に挑戦しました。 残念ながら…

競馬は芝生の施設で、土日、祭日の仕事のない日にやるもの

競馬っはヨーロッパ発祥の紳士淑女の社交の場で、緑豊かな芝でサラブレッドの素晴らしさを堪能する優雅な遊びと思って始めました。 日本では財産に恵まれた一握りの馬主は到底庶民にはなりえない存在に映っていました。 下町に育った私は、浅草・錦糸町・後…

競馬をやる上での覚悟

ビギナーズラックで競馬の面白さ、深さを知って行く前に、競馬の取り組む姿勢を 貫くルールとマナーを構築していきました。 下町に育った私は、周囲の大人たちが一番心配する事を枠組みにして、現在も 続けています。特にギャンブルで私産を食いつぶす事はあ…

さて、ダービーの馬券は2着アサデンコウが入り、的中を逃しました。 敗因はアサデンコウと同厩舎の2着ヤマニンカップに気が付かなかった事です。 これを③、「親子どんぶり馬券」ということ知り、馬券戦術の一つとして現在も 続いています。 この2頭出しに…

皐月賞を的中させた私は、予想から外した1番人気アサデンコウが気になって迎えた 1967年ダービー予想にアサデンコウを入れる事を念頭に、馬券予想をして兄に 頼みました。 レースは直前雷鳴が轟き、真っ暗な空の中スタート、直線アサデンコウが力を振り…

1967年ビギナーズラックからの馬券スタート

昭和42年皐月賞、まだ16歳ですから、20歳になった兄に馬券購入を頼んでの実質自分の予想馬券がスタートしました。 当時、兄がみていた日本テレビの11PM、大橋巨泉氏全盛時、すべてに影響を受けました。 巨泉氏から①、重馬場による競走馬への影響知識…