ちょうど競馬をはじめた頃は競走馬にとっても、さまざまな動きがありました。

サラ系アラブ馬、外国産馬抽選馬と国内の競馬は国際化の道へと加速していきました。

①、1958年連戦連勝のセイユウサラ系アラブとして天皇賞に挑戦しました。

残念ながらセイユウに続く馬は現れず、ダート主戦のアラブは地方へと移って行きました。もう一頭7連勝を飾ったものの骨折で中央引退のキタノダイオウはサラ系で血の論議の話題を提供しました。強かったです。

②、抽選馬の象徴は1969年ダービー1番人気のタカツバキと1968年オークス

ルピナスでした。当時私は、血統の良い馬がダービー馬という考えを持っていましたので、タカツバキは勝てないと馬券の検討から外しました。まさかスタートで落馬する

とは思いませんでした。何か抽選馬の宿命を感じざるを得ませんでした。余談ですが

落馬した嶋田功騎手は覚醒したかのようにナスカオリをはじめ「牝馬の嶋田」の異名をほしいままにしました。

③、外国産馬は何と言ってもマルゼンスキーのダービー挑戦についてです。6戦6勝で1977年、外国産馬の出走は認められないため、主戦騎手中野渡清一騎手騎手は「大外枠で良いから、勝っても優勝の扱いになくて良い」と訴えた逸話は当時同情をかっていました。もう一頭スピード豊かなスピリットスワップスも忘れられない1頭です。

このころ、今は殆どの騎手は厩舎に所属しないでフリーの立場で騎乗馬の乗り替わりは頻繁に行われていますが、そのころ東西に名うての騎手がおりましたが、その騎手以上のこの馬にこの騎手ありの馬を応援したいました。

ジンライ、吉川英治さん命名で有名。笹倉武久騎手。ニットウヤヨイ沢峰次騎手、メイジシロー中野渡清一騎手、ロンザラス増田久騎手、大橋巨泉氏お気に入りモンタサン油木宜夫騎手、オンワードヒル牧野三雄騎手、ヒシマサヒデ小野定男騎手、スイジン地方福島競馬といえばこの馬、町田精生騎手など。