競馬は芝生の施設で、土日、祭日の仕事のない日にやるもの

競馬っはヨーロッパ発祥の紳士淑女の社交の場で、緑豊かな芝でサラブレッドの素晴らしさを堪能する優雅な遊びと思って始めました。

日本では財産に恵まれた一握りの馬主は到底庶民にはなりえない存在に映っていました。

下町に育った私は、浅草・錦糸町・後楽園の場外馬券場に行きましたが、耳に赤鉛筆。

馬券場周辺には立ち飲み屋、といったところを横目に馬券購入をするのが、当時の競馬に対する風景であり、良いイメージには捉えられませんでした。

そんな周囲の大人は、競馬ギャンブルで財産をつぎ込んでしまった話を耳にするとともに、競馬に取り組む姿勢が問われていました。

そういう意味では、中央競馬の開催が土日、祭日に限られ、ギャンブルの色彩の強い公営競馬は平日、地方のどこでも行われているところに、中央競馬だけをやっていれば、周りの心配ネタにはならないし、芝生のきれいな広い競馬場は健全な環境に思えていました。その時、広大な芝生でサラブレッドの素晴らしさを公正で健全な運営の中で繰り広げられる場が競馬場と捉えて現在に至っております。平日本文の仕事に汗を流し、土日競馬で疲れを癒す、そんな競馬を楽しむこそ、ヨーロッパの高尚な遊びの日本版の楽しみ方ではないかと思っております。

わたしは、中央の馬が公営競馬主催のレース結果には馬券検討の材料として、成績結果は見ますが、ほとんど馬券購入もしませんし、新聞記事も見ません。

最近、ギャンブル依存症の問題がクローズアップされていますが、中央も公営競馬も自宅で購入できる環境に大きく起因していると思いますが。当時は競馬新聞の解説者と放送関係者位が競馬の外側の職業でしたが、今や予想のプロを中心にギャンブルは儲かるんだという幻想を与え、そういう風潮こそが、大した馬券検討もせず、自己責任の意識を持った馬券購入を忘れさせているのでは、とおもいます。