1967年ビギナーズラックからの馬券スタート
昭和42年皐月賞、まだ16歳ですから、20歳になった兄に馬券購入を頼んでの実質自分の予想馬券がスタートしました。
当時、兄がみていた日本テレビの11PM、大橋巨泉氏全盛時、すべてに影響を受けました。
巨泉氏から①、重馬場による競走馬への影響知識を学びました。
ライジングフレームを父に持つ、松本夫佐子さん所有のライジングフレーム
1966~1972年は1600~1800メートルを得意に活躍していました。
雨が降ると全く走れませんでした。
一方ヒカルメイジの子は重馬場が得意で、同厩舎の所属騎手、古山良司騎手は、
「雨の古山」の異名をいかんなくっ発揮しました。
②前走快勝した馬の2走ボケ
前走快勝した馬が原因不明で負けた時、2走ボケと言っていました。
それを予想のファクターに入れて、本命馬の取捨にいれ、穴馬券を的中させました。
さて、昭和42年皐月賞は増沢騎手騎乗アサデンコウ、郷原騎手騎乗リュウズキ、
加賀騎手騎乗ホウゲツオウの3強の争いでした。私は1番人気アサデンコウを外した
枠連6-81210円を兄に頼み的中させました。特に外した根拠の記憶がありませんでした。これがビギナーズラックなんでしょう。