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さて、ダービーの馬券は2着アサデンコウが入り、的中を逃しました。
敗因はアサデンコウと同厩舎の2着ヤマニンカップに気が付かなかった事です。
これを③、「親子どんぶり馬券」ということ知り、馬券戦術の一つとして現在も
続いています。
この2頭出しについての馬券戦術にはいろいろなケースにも応用されていきました。
③の1、2頭出しの2頭のうち人気薄の実績馬が穴をあける。
③の2、2頭出しの2頭のうち前走と同じ騎手もしくは当該厩舎の主戦騎手騎乗馬
が先着する。
③の3、人気騎手・主戦騎手の乗り替わりに注意。
このころは現在のフリーの騎手より厩舎所属、馬主についた騎手が大半を占めていた。
ことを学び馬券戦術に活かしてました。
そのビッグヒットが初の万馬券的中の1969年の牝馬東京タイムズ杯でした。
このレース1番人気のスズガーベラの主戦騎手は徳吉騎手でしたが、なぜか11頭
立ての11番人気レブロンに騎乗。このレブロンが2着に入り、馬連3-5
18170円をつけました。
それ以来、当時の競馬新聞で騎手の乗り替わりマークを載せていた「勝馬」を購入
していました。
因みに、当時、ダービーニュース大川慶次郎氏、全レース的中の評論家の神様で大川氏が本命を打つとオッズが下がるという崇拝者が多い先生。
競友小畑正雄氏、自らも馬主でラジオ解説者。
勝馬山崎氏、大橋巨泉氏評価の宮城昌康氏、松沢氏と多士済々でした。
兄はホースニュースを使っていました。
競馬新聞は当時50円で前日の12時には近所の本屋で買えました。
また、関東版関西版に分かれて発売されていました。今は競馬エイトが開催場すべて網羅されて購読しています。
更に、ラジオ中継はラジオ関東窪田康夫さん、樋口保子さんの声と中継は素晴らしかった。
一方テレビは10チャンネルで確か神田さんと何といってもフジテレビ鳥居アナウンサーでしょう。そのあと盛山さんが引き継ぎました。
関西テレビは杉本さん、馬場さんです。私は、鳥居アナウンサーのサラっとした
実況中継を忘れません。
1967年ビギナーズラックからの馬券スタート
昭和42年皐月賞、まだ16歳ですから、20歳になった兄に馬券購入を頼んでの実質自分の予想馬券がスタートしました。
当時、兄がみていた日本テレビの11PM、大橋巨泉氏全盛時、すべてに影響を受けました。
巨泉氏から①、重馬場による競走馬への影響知識を学びました。
ライジングフレームを父に持つ、松本夫佐子さん所有のライジングフレーム
1966~1972年は1600~1800メートルを得意に活躍していました。
雨が降ると全く走れませんでした。
一方ヒカルメイジの子は重馬場が得意で、同厩舎の所属騎手、古山良司騎手は、
「雨の古山」の異名をいかんなくっ発揮しました。
②前走快勝した馬の2走ボケ
前走快勝した馬が原因不明で負けた時、2走ボケと言っていました。
それを予想のファクターに入れて、本命馬の取捨にいれ、穴馬券を的中させました。
さて、昭和42年皐月賞は増沢騎手騎乗アサデンコウ、郷原騎手騎乗リュウズキ、
加賀騎手騎乗ホウゲツオウの3強の争いでした。私は1番人気アサデンコウを外した
枠連6-81210円を兄に頼み的中させました。特に外した根拠の記憶がありませんでした。これがビギナーズラックなんでしょう。